おそ松さん最終回「おそ松さんでした」に寄せて
おそ松さん24話がシリアスすぎたため、世間をざわつかせた一週間でした。
そんな中で放送された最終回・・・・・・。
史上最大のカオス回かつギャグ回かつ野球回・・・・・・(°д°)!
もうすでに、様々な方から食い尽くされた話題なので小生が気になったところをピックアップ!します!
松野家が第88回センバツ〇〇選手権に出場!?
カラ松の痛い発言を唯一、拾ってしまった一松が後悔に押しつぶされる中、キメるカラ松。
配給のすべてを説くトド松。
ズコーッ
こんなの人気出るわけな━━━━い!!
第四銀河大付属高等学校!
モノリスみたいなやつとか、ウィスプみたいなやつとかいますよ。
四銀の校歌を聞いて「伊集院光 深夜の馬鹿力」の某コーナーを思い出した方も多いのでは?
おそ松さんらしい見事な最終回だったのではないでしょうか。
おそ松ロス、おそ松鬱になった一週間を返して欲しい・・・・・・。
おそ松さんでした!?いやいや、ごちそうさまでした!
SMAP解散騒動と、free birdと
SMAP解散騒動で世間は大騒ぎですね。
このような騒動になると、改めてSMAPの存在の大きさを知らしめられます。
今回の騒動におけるキーワードとして「独立」「解散」が挙がるところです。
もっと言うと「自由」というところでしょうか。
SMAP×SMAPでは「世界に一つだけの花」をバックに流していました。
私はそこに違和感を持ちました。
寧ろ、「free bird」を流すべきだったと思います。
PVを改めて見返してみても、冒頭にみられる香取慎吾と草彅剛のセリフにグッときます。
香取「自由になりたい?」
草彅「うん。」
香取「自由になる怖さもあるけど、
正直そんなことよりも自由になりたい。」
草彅「それ以上のこと、ないのかもしれないよ。」
2002年当時もエンターテイメントの王道を付き走っていた2人の心境が見えて切ないセリフです。
2016年現在、独立騒動の真っ只中に改めてセリフを噛み締めると苦い思いが染みます。
まして、独立側というか飯島マネージャー側というか、その中でも「闇が深い」と思われる香取くんと草彅くんだから、余計に感じさせるものがあります。
歌詞の中にも今の心境を思わせるものがあります。
「例えば何か捨てても無くなったとしても不安になることはない。
自分自身に嘘をついてまでやれることに意味があるとしても。」
どうか、SMAPのメンバーには自分自身に嘘のない選択をし続けてほしいと切に願います。
M-1グランプリに寄せて
野球ファンは皆、監督であり解説者である。
漫才ファンもまた評論家であるといえる。
昨日、日本にはどれだけの漫才評論家が現れたことだろうか。
タイムマシン3号の引き出しの多さはもともと有名なところであった。
その中でキャッチーなデブネタを活かしつつも巧みな言葉遊び、ツッコミとボケが逆転する意外性を盛り込んだネタをチョイスしたあたり感動と爆笑を禁じ得ない。
backnumberを思わせるそのルックスからもスター性を感じる。
もっともっと売れて欲しい。
トップバッターのメイプル超合金からも目が離せない。
M-1グランプリの出囃子BGMを聴いた時、思わず鳥肌が立った。
「芸人たちの戦いが始まるのだ。」と。
ネタが終わった時も鳥肌が立った。
「こいつら、売れて欲しい!」
伊集院光がラジオで口に出していた安藤なつってこいつだったのか!?
ツッコミ!?それもキャラ押ししない正統派!
カズレーザーおもしろい!
売れて欲しい、全力で応援したいコンビが二組もできた。
幸せなことだ。
そうそう、ハライチはしくじり先生に出て欲しい!
名講師になれそうな予感がするぜ!
「十四の夜」は「おそ松の夜」だった。
おそ松さん、観てますよ~。
私の推し松はズバリ、トド松!
かわいらしい表情がグーッですね。
ちなみに、二推しはクソ松・・・・・・改めカラ松です。
「十姉妹の恋」=「じゅうしのよる」
「俺にはこう読めるんだ。」という次回予告には爆笑と嘲笑を禁じ得ません。
そんな、「じゅうしのよる」に関しては「おそ松の夜」と言っても過言でない程、おそ松兄さん大活躍です。
十四松がデートするとなればしっかり応援するおそ松。
しかし、デートを見ていても悔しいやら羨ましいやらで結局は応援という名の覗きをやめてしまうおそ松。
今や「おそ松さん名物」にもなっている「AV」に関するシーンの登場です。
AVコーナーに向かうおそ松は何かを発見して・・・・・・。
何かを伝えようとするおそ松と、無邪気に恋をする十四松の表情に見えるギャップにグッときます。
結局、気持ちよく送り出すおそ松・・・・・・。
う~ん、思い出すだけで涙が出てきます。
おそ松「会いに行ったら?引越しする日に誰かに会うのって結構めんどくさいことだよ。」
いいセリフ・・・・・・。
おそ松兄さんしてますね・・・・・・。
「おそ松の夜・・・・・・。俺にはこう読めたんだ・・・・・・。」
人間の美しいところは「自分のために頑張っているはずなのに、結果的に誰かのためになっているということ。」だと思うから。
野球が好きだということを公言しており、野球関連の記事を多くUPしてきた小生にとって、この記事に同意することは少々勇気がいる。
しかし、表現方法の直情的な部分に目をつぶれば大いに同意できる内容である。
なぜ、我々が野球選手に、サッカー選手に、アーティストに、あるいは仕事や学業においても身近な仲間に、先輩に、後輩に、感銘を受けるのか。
それは、「誰かのために頑張っている。」という押し付けがましい努力なんかではない。
あくまで「自分が楽しむため、達成感を得るため、幸せになるため」に行っていることのはずなのに「誰かが楽しんでくれて、感動してくれて、幸せになってくれる」ことが要因であるはずだ。
筆者が例に挙げている高校野球の件にしても、「自分のための頑張り」が結果的に「東北の人、観ている人、周りのチームメイト」のためになっているという結果なんだと思う。
人間は、誰かの為に頑張ることができるほど強い存在でも綺麗な存在でもない。
しかしながら、自分の身を削って、削って、削った結果が「自分のため」を超えて「誰かのため」になってしまう。
だからこそ、人間は他者の心をも動かし、他者の振る舞いによって心を動かされるのだ。
このような自分の考え方について、別の言葉で具体例を持って表現していた記事に親近感を持ったので紹介させていただいた。