風化という言葉 ~東日本大震災の大きな悲しみに隠れた小さな影響に寄せて~
ひまざぶです。
少し、言っておきたいことがあります。
東日本大震災についてです。
「風化させてはいけない。」
「忘れてはいけない。」
とよく聞きます。
そもそも、この表現に違和感を感じます。
仮設住宅に暮らしている方や、故郷を離れて暮らす事態になった方がいらっしゃる以上、「風化」もしていなければ「忘れ」てもいないわけです。
本当に、「風化」させてはいけないのは、東北が楽しい街だったこと、笑いの絶えない日常があったことではないでしょうか。
コロッケさんの震災直後のステージは、福島の方を「震災後、初めて笑った。」という笑いに包みました。
伊集院光さんのラジオは「絶望の中でも、どうかくだらないことを考えて。真っ暗なこと、黒いことに心を覆われないで。」というメッセージを「笑い」と「喋り」のプロとして伝えてくださいました。
東北の皆様や関係者の方が、「昨日、誕生日ケーキ買ったんだけど、嬉しくてブンブン振り回しちゃってくずしちゃったわよ。」みたいな、些細なくだらないことで笑い合って震災の悲しみを風化させられる、そんな日が来ることを祈っています。
そして、ご家族や深いつながりのある方が津波で亡くなった方には失礼かもしれませんが、小さな影響もあったこと、そしてその影響も人生を狂わすものであった可能性もあることを忘れないで欲しいのです。
地震のせいで、デリバリーが止まって2011年の4月でたたむことになった飲食店やメーカーさんもあると聞きます。
それも、津波で被害が大きく報じられた地域出ない場合は援助もなく、厳しかったと聞きます。
卒業式や卒業旅行ができず、人生の節目をうまく過ごせなかったと嘆く人もいると聞きます。
せっかく、お父さんがチケットやドレスを買ってくれたのに、自分でバイトして買ったのに、無駄になってしまったというのがダメージになっていると聞きます。
これらは、大事な人が亡くなられた大きな悲しみに比べたら、小さな被害かもしれません。
しかし、このような小さな影響、余波も確かにある。
とにかく、皆さんが些細なくだらないことで笑える日が来ることを祈っています。
「昨日さ~道端でさ~と言ってもジェシカでもアンジェリカでもなくて・・・・・・。」