宇多田ヒカルと、Lettersと、明石家さんまと。
唐突ですが、宇多田ヒカルさんの楽曲が好きです。
世代的に、多感な時期の音楽界は「歌姫=浜崎あゆみ、宇多田ヒカル」という構図だったので余計に感情を揺らすものがあるのかもしれません。
浜崎あゆみが宇多田ヒカルの曲をカバーするというのもすごいニュースだなあと、心がガシガシ胸ぐらを掴まれているような感覚だったりします。
椎名林檎さんも「Letters」をカバーしていますが、これは私が一番好きな曲でありましてなかなか心を動かしてきます。
この曲を聴くと、なぜか明石家さんまさんの顔を思い出してしまいます。
なぜなのかを考えてみると、以下の歌詞なのではないでしょうか。
「今日選んだアミダクジの線が
どこへ続くかは分からない
怠け者な私が毎日働く理由」
アミダクジといえばアミダばばあ、アミダばばあといえば明石家さんまですもんね。
なんとなく、明石家さんまの芸人人生における選択の数々、パターンや言葉を選ぶ毎日と重なる部分もあります。
しかし、それ以上に重なるのは宇多田ヒカルも明石家さんまも「母親の愛」に飢えている悲しい面を秘めているところにあります。
宇多田ヒカルが「母親のことを書いた詞」だと語っていたこともあるようです。
明石家さんまさんについては、生い立ちもやや複雑で母親が早くに亡くなり義理の母親に育てられるも愛情を得られなかったというエピソードもあります。
義理の母親から関心を得るために饒舌なおもしろお笑い怪獣ができたというエピソードは哀愁さえ漂わせます。
ホンマでっかテレビで語っていた「俺になついてた犬がちっちゃい時に嚙んだ傷が肘に残ってんねん。これは、母親が死んだ日を忘れへんようにするために葬式の日に噛んだんやって。」というエピソードも本人が満面の笑みで語れば語るほど心に刺さります。
宇多田ヒカルのLettersを聴くと明石家さんまさんのことを思い出して余計にグッとくる。
この現象はこれからも繰り返されそうです。