爆笑問題田中裕二さんと、センター試験現代文第2問小説と、AKB48小嶋陽菜さんと
爆笑問題の田中裕二さんが、ラジオでの発言をインターネットにおけるニュースに使われるとおっしゃっていました。
そのなかで、「田中裕二、苦言を呈する。」と書かれてしまうのが間違っているとおっしゃっていました。
「苦言を呈す」とは「上の立場から下の立場へ」というニュアンスが込められているので芸人の一発言に使うのは間違っているというわけですね。
なお、インターネットニュースサイトの人間は「辞書にはそんなこと書いてありませんでしたよ。」と言ったらしいです。
言葉は生き物とはよく言われます。
世の中で使われるケースが、「上の立場の人、ご意見版と呼ばれる人が使う」場面が多くなれば、ニュアンスは変わっていきます。
残念ながら、辞書的な意味だけでは行間を読むことや言葉の裏側を見ることはできないのです。
仮に辞書に反映されることになるとしても、民衆の中で言葉がいきものとして別の意味を持ち始めた後の話です。
いかに、辞書的意味の地盤の上で空気感を感じるかが重要です。
だからこそ、同じ意味の言葉でも「おいしい」なのか「旨い」なのか「美味い」なのか「美味なり」、「おいしゅうごぜぇます」、「ちょーやべえ」・・・・・・。
選択する必要があるわけですね。
センター試験の現代文における大問2は小説で、さらに小問1は「本文における意味として適切なものを選べ。」とパターン化されています。
なぜ、「本文における意味」という聞き方をするのか。
まず、その言葉の辞書的意味がわからなくても前後の文脈から察しろよ。というメッセージであります。
また、選択肢中の正答もニュアンスによって微妙に変わっていたりします。
小説ともなると登場人物の心情や背景など様々な要素が絡み合って「生きた文章」となるので、辞書的意味を土台にして微妙なニュアンスを持ちます。
問題作成者も気を使っているということを忘れないでください。
あくまでも、辞書的な意味の土台からは外れていませんが。
「刻刻に」の意味を「時間が経つにつれて」というよりは「次第次第に」と言ったほうがこの小説の解としては適切であると判断して選択肢を作成しているのです。
辞書的意味の土台の上で言葉をどう使うか、どう受け取るかが問われているのです。
また、AKB48の小嶋陽菜さんが、「後輩たちはスピーチをなぜもっと真剣に考えないのか。」とおっしゃっていたそうです。
小嶋陽菜さんは「卒業しません」にするか「卒業発表はやめます」にするか悩んだそうです。
たしかに、似たような意味ですが「卒業しません」と「卒業発表はやめます」では印象がまるで違いますよね。
スピーチの中で印象を残し、数多くのメンバーの中で注目されなくてはいけない。
その思いから、言語感覚まで磨こうとするその姿勢は間違いなくプロだと思います。
私も端くれとはいえ一応、ブログをやっている身。
言葉選び、勉強しなければいけないとつくづく思います。