「すみませんじゃ済みません。」と、「ありがとうは心から」と、「土下座はするなよ」と。
わたしも、謝ればいいと思っているタイプの子供だった。
大体のケースは申し訳なさそうな顔をして「ごめんなさい。」とか「すみません。」とか言っておけば何とかなると思っていた。
そんな私の謝ることに対する考え方が変わったのは高校時代だ。
部活の先輩で、冗談を言い合える関係でいい意味で上下関係に緩いY内先輩がいらっしゃった。
Y内先輩は私が謝ると「すみませんじゃ?」と言う。
そして「済みません。」と私が答える。
「すみませんじゃ済みません。」この言葉は「謝る必要なんてね~よ。」という意味を込めた先輩なりの気遣いだった。
そして、もうひとつの意味も含まれていた。
本当に重大なミスは、すみませんでは済ますことはできない。
だから、すみませんの言葉を積み重ねるのではなく、ミスをしないだけの実力を積み重ねなければならないと。
謝る機会などつくらないようにしなければならないのだ。
もしもミスをしてしまった場合も「申し訳ありません。」という言葉で済んだとは思わず、ケアーをした上で次の段階に進まなければならない。
「すみませんじゃ済みません。」
私の座右の銘だ。
なぎさらさ様がおっしゃるように、「申し訳ありません。」よりも「ありがとうございます。」を大事にしたい。
つい、「ごめんなさい。」と咄嗟に言ってしまったあとに出る「ありがとうございます。」これは意外と心がこもっているものだと思う。
この「ありがとうございます。」も咄嗟に出ているから、心を表していると思う。
こういう「ありがとう。」を発するとともに気づいてあげるような人間になっていきたい。
謝る際や感謝する際に土下座をするケースをマンガやドラマでよくみかける。
高校時代の恩師は「大学生になって、単位を落として先生に土下座する奴がよくいるがそういうみっともないことはするなよ。っていうか、人生で土下座なんてしちゃいけない。そんな自尊心を投げ捨てるようなことはしてくれるな。」と授業中の雑談の中でおっしゃっていた。
そのおかげで、土下座はしないし、しなくて済むような生き方をしていると思う。
一方、半沢直樹にハマることができなかった。
謝ることについて思いつく限りのことを書いてみた。
謝ること、感謝すること、生きること、難しいなあと改めて思う。